14試合を終えて5勝3分6敗12得点16失点、11位

 これが中断期間までの鹿島のリーグ戦の成績だ。消化試合の差もあるが、首位の広島とはすでに勝点19もの差をつけられている。まだ残り試合は半分以上残っているが、目標とするリーグタイトル奪還には赤色に近い黄色信号が灯ってしまった状態だ。ACLこそクラブ史上初めてラウンド16の壁を乗り越えたものの、到底満足できる成績ではない。では、なぜこうなってしまったのか、これまでを振り返りながら、その原因を探っていきたい。

多すぎたケガ人

 低迷の原因の一つとなったのは、まずケガ人があまりにも多すぎたことだろう。シーズン前からレアンドロと西を欠いた状態で始まり、その後も誰かが戻れば誰かがいなくなるの繰り返しで、思えば今季はまだ一度もケガ人ゼロの状態で戦えた試合がないのである。ただでさえ、W杯イヤーによる過密日程である今季、ターンオーバーするにも出来ずに疲弊する選手たちとケガから復帰したばかりでコンディションの整わない選手たちで戦うにはあまりにも厳しかった。

プレッシングとビルドアップ

 ただ、ケガ人の多さは不運を嘆かざるを得ない部分もあるし、突き詰めるべきはそこではない。このチームにはずっと抱えている2つの課題がある。それが「プレッシング」と「ビルドアップ」だ。

 プレッシングはここ数年の鹿島が標榜する「アグレッシブなサッカー」の代名詞にもなっている戦術だ。前線から積極的にプレスをかけて、相手の攻撃を制限する。そして、中盤などの高い位置でボールを奪えば、手数をかけずにショートカウンターに繋げる。これが理想形なのだが、果たして今季このようなシーンが何度見られたことだろうか。もちろん、過密日程でプレッシングの根幹である走力が整わないことは機能しない原因の一つとしてはあるだろう。しかし、大きな原因はもっと根深いところにある。それは、1列目と2列目の連係が極端に悪いことだ。

 プレッシング、特にハイプレスは1列目(FW)がプレッシャーをかけることからスタートする。1列目の選手からプレッシャーをかけて、ボールを徐々にサイドに締め出していく、あるいはチームとして設定したボールの奪いどころに誘い込んでいくのが定石だ。そのためには、どのタイミングでプレッシングをかけるのか、どのタイミングではかけないのかチームとしての意思統一が必要になってくる。ところが、今の鹿島にはその意思統一が見られない。FWの選手が追い込んでも、サイドのボールを受ける選手にはプレッシャーがかかっておらず、他の選手たちはブロックを作って待ち構えている。逆に、布陣をコンパクトに高い位置に置いているのに、FWの選手たちはプレッシャーに行かずに、相手は自由にパスが出せる状況になっている。こうした状況が頻発しているのだ。

 特に深刻なのが、相手のビルドアップが鹿島のFWよりも多い3枚で組み立てようとした時だ。この場合、セオリーだと取れる方策は2つだ。一つは、リスクはあるが鹿島も1列目の枚数を2列目からスライドさせて増やして相手と同数にするやり方。もう一つは、数的不利を承知で1列目の人数をそのままにする代わり、1列目には最低限制限すべきコースを設定するやり方だ。

 ただ、今の鹿島はそのどちらでもない。1枚目の人数はそのままで、あたかも相手も同じ人数かのようにプレスに行かせるのだ。これだとどうなるだろう。明確な意図も持たずに数的不利で突っ込んでくるのを相手は易々とかわして、ボールを前進させることが出来る。それに対し、鹿島のFWは無謀なプレスを迫られ、当然のごとく徒労に終わった上に攻撃のタスクを背負わされる。明らかにタスクオーバーの状態なのだ。

 さて、二つ目の課題である「ビルドアップ」だ。こちらは今季になって特に意識しているテーマであり、練習でもビルドアップの向上を目的としたものが多く取り入れられ、キャンプでは練習試合で自らを不利な状況にしてまで取り組んできたものである。ただ、その成果は現状見られない。なぜなのだろうか。

 ここ数年、鹿島はビルドアップの中心をボランチに置いている。理由は単純だ。小笠原満男、柴崎岳といったパスセンスに優れたボランチが多いのだから、彼らの力を使わない手はない。彼らにボールを預け、そこからの展開で攻撃を進めていくことが一番手っ取り早いからだ。ただ、そうなると相手も当然ボランチをケアしてくる。そうなるとCBがフリーになるのだが、鹿島のCBは対人守備能力がまず第一に優先されて、試合に出場している。つまり、あまり繋ぐことは得意としていないのだ。繋ぐのが得意な2人が意図も持たずにボールを持たされた結果、増えていくのは前線へのロングボールだ。ただ、前線の選手もいくらそうした身体を張る仕事を厭わない金崎や鈴木がいたとして、競り合うのはセットした状態の相手のディフェンスが相手。明らかに不利な状況でボールを預けざるを得ない状況になってしまっているのだ。

 とはいえ、この状態を脱するべく選手たちも変化をつけ、指揮官も手を打っている。例えば、ボランチの一角がCBと同じ位置まで下がって、相手より数的優位を作ること、また普段は高い位置を取るSBの内田や西が下がってCBからのパスの受け手になることだ。そして、指揮官も土居を前線に置くことで、ボランチ以外にパスの受け皿を増やし、鈴木をサイドに置くことであらかじめビルドアップが詰まった時の逃げ道を作っておくことで、前線の選手が流れなくても起点が出来るようになったなど、こうした一手はそれなりに成果が出ているのだ。

 だが、ここにも問題はある。それは全てが「属人的」なことだ。たしかに、選手の入れ替えで成果は出ている。ただ、この選手たちがいない時はどうするのか。選手のそれぞれの特性を活かす、と言えば聞こえはいいが、チームとしての決め事ではない以上、その選手がいないと途端に機能しなくなるものを、「戦術」と呼べないのではないだろうか。ホーム神戸戦でドローながらも土居と鈴木のポジションを入れ替えたことにある程度の成果を見出したのに、土居が欠場したその次のアウェイ横浜FM戦では0-3で完敗を喫したことは、これまで述べてきたことと無関係ではないように思える。このチームには優秀なシェフはいても、シェフの技を受け継ぐレシピは存在しないのだ。だから、各々の考えで即興で作るしかない。これが、今の現状なのだ。

「戦術」と「戦略」

 ここまで述べてきた課題の責任の多くは大岩監督にあるのだろう。実際、この低迷の責任を大岩監督の力量不足に問う声は決して少なくないように思える。では、大岩監督の力量は本当に不足しているのだろうか。

 結論から述べると、大岩監督は決して力量はない訳ではないと個人的には思っている。理由は打てる手は打っていること、その打つ手も妥当なものだからだ。例えば、ホーム長崎戦。2-1で勝ったゲームだが、大岩監督はこんな手を打っている(HT終了時のツイートだが、後半の振る舞い方も基本的に同じだった)。




 また、ホーム仙台戦で大岩監督は後半から3バックにシステムを変えたが、これも打つ手としては妥当なものだった。ボランチがパスを受けにサイドに出たスペースを仙台に使われていた前半と、相手とシステムを噛み合わせることでそのスペースを封じにかかった後半とでは、前後半共に1失点ずつという結果ではあったものの、ピンチの数やこちらのボール保持とチャンスの数とでは大きな差があった。

 ただ、こうして手を打っているにも関わらず、結果が出ないのは理由がある。それはこれらの手は「戦略」であって、「戦術」ではないからだ。「戦略」が試合ごとに勝つために講じる策だとするならば、「戦術」はチームのベースとなる戦い方のことと、ここではしておきたい。たしかに、勝つための策は打っているのだ。その策自体も決して悪いものではない。ただ、相手もその策を黙って受けている訳ではない。策を受けて出方を変えたり、あるいはあらかじめこちらの策を読んで出方を決めてくる時もあるだろう。その時に問われるのが「戦術」なのだ。こうしてきた時にはこうする、こうなった時はこう動く、という風にチームの中である程度のプレーモデルが設定出来ていれば、次の策を打つまでの間も十分まともに戦うことが出来る。ただ、今の鹿島にそうしたプレーモデルは個々の選手が各々で持っているものがほとんどで、チームを共有できているものは極端に少ない。だから、「戦略」が上手くいかない時にチームは途端に術を失ってしまうのだ。今季は試合序盤の失点が多いが、それはメンタルだけの問題ではない。相手の戦術、戦略に適応するまでに時間がかかっているからこそ、その時間に耐え切れずに失点してしまう。この点が原因を占める部分として、決して少ないものではないように筆者は思っている。

ジーコスピリットの「限界」

 しかし、大岩監督の問題も鹿島にとってみれば、決して大岩監督個人だけの問題ではないのだ。なぜなら、これは鹿島が今後もリーグでトップクラスのクラブであり続けるために向き合わなければならない問題でもあるからだ。

 鹿島はJリーグ開幕以来、ずっと4-4-2をベースにしたブラジルサッカーでやってきていた。高い個の能力をベースに、メンバーを固定してそのメンバーの連係を軸とした組織力で戦う。これでJリーグ最多の19ものタイトルを獲得してきたことは紛れもない事実だし、称えるべき功績だろう。

しかし、Jリーグが開幕して25年。この間にサッカーはとてつもない速さで進化を続けてきた。様々なトレンドの変化はありながらも、時代は今、「高い強度の中でいかに効果的なプレーを再現性を持ってチームに落とし込めるか」が、勝者と敗者の差を大きくする時代へと移り変わっている。そして、この流れは今後も続いていくだろう。もう、強度が高くなり運動量も増加した現在では、高い個の能力だけでは勝てないし、固定されたメンバー間で培われたレベルの連係をチームとして発揮しやすい状態にして、多くの選手に落とし込まなければ勝者にはなれない時代になったのだ。

 「ポジショナルプレー」や「5レーン理論」はそうした落とし込みに必要なものを、落とし込みやすいように言語化したものである。こうした言語化された理論が今の鹿島にはクラブとして不足しているのが現状だ。なぜなら、今まで鹿島が受け継いできたのは、「阿吽の呼吸」のような言語化しにくいもの。チームに溶け込めば理解することが出来るものだが、そこに上手くいったかどうかの基準はプレーがもたらす結果以外になく、どうしても各々の即興性で結果を左右せざる得なくなってしまっていたのだ。それをチームの全選手に落とし込むのは至難の業だろう。なぜなら、それは即興であって、言語化や体系化されたものではないからだ。

 実は、先述した「プレッシング」と「ビルドアップ」の課題は石井前監督のころから継続している課題であり、もう課題が顕在化して2年近くが経過しているものなのである。2016年終盤の躍進は、一発勝負というシチュエーションを逆手に取って、あえてその課題を表面化させない「戦略」が上手くハマったからこその勝利であって、その間もこの課題は横たわったままなのだ。

 とはいえ、大岩監督はこの現状も把握して、改善の一手を打っているように筆者には思える。ポジショナルプレーを意識した練習を取り入れているとも聞くし、攻撃は常に5レーン理論で言う「ハーフスペース」を使うことを意識させている。それでも、その成果は現状見られない。そうしたプレーが出来ているのは、他チームでその理論を習得したり、自らでそれに気づける個人戦術の高い選手に限られ、チーム全体で意識付けされているとは言い難いからだ。とはいえ、こうした言語化された理論を持っていなかった、いや必要としていなかったチームでコーチの時から経験を積んできた大岩監督個人の責任に押し付けるのはあまりにも酷なように思えるのだ。

 「誠実・献身・尊重」というジーコスピリットの下、これまで鹿島は戦い続けてきた。その戦いぶりは決して間違いではないし、それはこの25年間の結果が証明している。ただ、この3つは言うなれば「当たり前」のことなのだ。当たり前のことを当たり前にこなせるからこれまで勝ってきたが、当たり前のことをこなせるチームが増えてくれば、それはもうアドバンテージではなくなってしまう。今、このジーコスピリットを土台として、さらなる体系を積み重ねていけるかどうか。これが、後半戦だけでなく、今後の鹿島の行く末を大きく左右するだろう。

 今、鹿島はかつてない岐路に立っている。


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