あまりにも唐突すぎる監督交代である。確かに今季一番の目標としていたACL優勝への道は、ラウンド16で早々に閉ざされてしまった。 たしかに、失ったものは大きい。ただ、そこにはケガ人といったエクスキューズもあったし、なによりリーグ戦はまだ序盤戦を終えたばかりであるし、上位との勝点差も1~2試合でひっくり返るポイント差ということを考えれば、まだまだここから巻き返していくことは十分すぎるくらいに可能であった。にも関わらず、今回下した決断。そこにはクラブとしての確固たる信念があってこその判断だと思える。それと同時に今後の鹿島がどのような道を歩んでいくのか、そこにも思うところがある。今回はそうした部分で筆者が思ったことを書いていきたい。

「誤算」だった2016シーズンクライマックス

 2015シーズン途中、トニーニョ・セレーゾ監督の後を受けて就任した石井監督は、チームを見事に立て直しナビスコ杯優勝にまで導いた。このシーズンで作り上げた土台をさらに成熟させ、2016シーズンはさらなる飛躍を目指す。そう志した昨季は結果的には見事にその目論見通り、リーグ戦と天皇杯の2冠を達成、さらにCWCではアジア勢初となる準優勝に輝き、決勝ではレアル・マドリードと延長戦にまで持ち込む死闘を演じた。この結果を考えれば、目論見以上の出来過ぎともいえる結果だろう。だが、このことが余計にチームを難しくしてしまっていたのだろう。

 結果は素晴らしかった2016シーズンだが、2ndステージははっきり言ってボロボロだった。カイオとジネイという強力な個の力を持っていた助っ人2人を失い、さらに夏場の暑さで運動量が低下したことにより、チームのベースとなっていた前線からのプレッシングは確実に精度を落とし、90分ゲームプランを遂行できるチームではなくなっていった。そこをなんとかやりくりしてチームを上向かせるのが監督の仕事であるし、石井監督も手は打っていたのだが、なかなか状況は好転せず一部の負担が増えた選手たちのフラストレーションは溜まる一方だった。

 そうした中で起こったのがあの「金崎夢生の反乱」と「石井監督の休養」である。今さらこのことについて語る気はないので割愛するが、フロントはあの時監督交代も考えて準備してきていたし、実はあの時チームの成熟具合を考えて、石井監督にある程度見切りをつけていたのではないかと思うのだ。ただ、石井監督が復帰してきたこと、石井監督自身が金崎とすんなり和解したこと、そして何よりフロントの要望を聞き入れ、石井監督が指導方針を変えていくと宣言したこと、この3つをもって石井監督続投で話は収まった。ここでの監督交代はカンフル剤になるかもしれないが、そのメリットより準備期間の短さなどといったデメリットの方が大きいと考えたフロントの判断もあるだろう。なにより、石井監督が方針を変えることで、チームの状態が好転すると期待したのが大きかったのだと思う。

 ただ、状況は変わらなかった。その後もチームは低空飛行を続け、2ndステージ終盤には4連敗も経験。方針を変えるといった石井監督も中断期間で時間はあったが、打つ手はその場しのぎの策が多く、とてもフロントの期待した根本的なテコ入れには至らなかった。普通、チームというものは3年を一つのサイクルとし、3年目に集大成を迎える。2017シーズンは石井監督にとってその3年目にあたったが、どうも状況を見ても3年目に迎える集大成が当初の期待値をかなり下回る結果になりそうだ、そう判断したフロントはここで2度目の見切りをつけたのだと思う。実際、どうなっていたのかはわからないが、次期監督探しもこの頃始めていたのではないだろうか。

 そして、迎えた2016シーズンクライマックス。しかし、ここから石井アントラーズは快進撃を見せ、前述の通りあまりにも見事な結果を残してしまった。これでフロントとしては完全に監督交代の理由を失ってしまった。むしろここまで結果を出した監督を変えてしまえば、チーム内外の反発は計り知れないものがある。また、ここに来て試合内容が劇的に向上していたのも大きかった。この短い期間でここまでの試合内容が出来ているのであれば、来季以降さらに期待していいのではないか。そう考えるのはごくごく自然なことだろう。こうして、石井監督の2017シーズン続投はすんなりと決まった。

 では、あの時なぜあそこまでの快進撃を演じられたのだろうか。これについては正直「ラッキーだった」という面がかなり大きかったと思う。CSに入る前に中断期間がありコンディションが整えられたこと、あとは何より紙一重だった準決勝の川崎F戦に競り勝てたことだろう。あそこでチームは完全に勢いに乗った。サッカーというものは試合前の準備や選手の質が勝敗を左右する競技だが、そこで競った際に勝敗を分けるのは目に見えない無形の力なのだと思う。鹿島は勝負強いチーム、とよく言われるが、そういう勝負強さを見せることが出来る時は、大概選手層で相手を完全に上回っているか、そうでなければこういう無形の力が付いている時だ。この時の鹿島は間違いなく後者だった。これは田中滋氏の著書「世界一に迫った日」でOBの新井場徹が指摘していることでもある。いずれにせよ、この経験が良くも悪くもクラブを大きく変えたのは言うまでもないだろう。

今季はアンラッキーである

 2016シーズンの結果を受けて、鹿島というクラブは結果に対する要求水準が間違いなく上がった。世界の舞台を経験したことで、鹿島は世界で勝てるクラブへと足取りを進めようとしたのである。そのために通過しなければならないのがアジアの舞台。元々、全タイトルを目指すのが鹿島の伝統ではあるが、その中でもアジアでの覇権を握ることは今季の至上命題と設定された。

 ただ、そのためにはなかなか難しい条件であった。一番大きかったのはオフと準備期間の短さである。元日まで天皇杯を戦ったチームは2週間のオフを挟んで始動、さらにその後もタイ遠征やNYCといった準公式戦が続き、ただでさえ体力作りに時間を割かなければならないシーズンにも関わらず、余計に戦術練習に充てる時間が短くなってしまっていた。

 それでもフロントはバックアップとしてやれることはやっていた。ただでさえ厳しくなる国内とアジアを両立させながらの戦い、そしてこの準備期間の短さを見越して、大型補強を敢行。これにまでなく即戦力どころかチームの主力となれる選手を各ポジションに補強。序盤戦はチームの成熟度が低くても、個々の能力で上回って勝点を拾い、徐々にチームの成熟度を上げてきてくれればそれでいい。そうした思惑を持ってスタートしたシーズンは、少なくても3月まではその目論見通りだったのだろう。

 雲行きが怪しくなったのは代表ウィークが終わって4月に入ってからだった。この中断期間である程度チームの成熟が進み、結果に伴って内容がついてくるようになる。そう期待したはずだったが、内容が一向に上向いてこない。そうなると過密日程で選手のプレーの質が落ちてきてしまい、大事な結果がついてこなくなってしまう。そのため、本来チームのペースを落としたかったところでも上げたまま戦わなくてはならなくなってしまい、余計に選手の疲労が溜まっていく。チームは悪循環に陥っていた。

 そんなチームにとどめを刺したのがACL敗退である。この敗戦自体は個人的に紙一重の勝負で競り負けた、言ってしまえば「運がなかった」ゆえの敗戦であると思うため、普通ならばそこまで気にする必要はないようにも思えた。ただ、あの世界の舞台を経験し、アジア制覇を至上命題に掲げていた今の鹿島にとって、失ったものはあまりに大きすぎた。そのショックを引きずりかねない、そうなってしまえばまだ残っている戦いに影響が出て、取り返しのつかないことになってしまう。そして、この状況を打開する力は石井監督にはない、そう判断したフロントは今回の決断に踏み切ったのだろう。

石井正忠という男

 石井正忠は名将か、そう聞かれたら多くの人はYESと答えるだろう。監督初挑戦で就任から1年半で国内3大タイトルをすべて獲得し、さらにチームをCWC準優勝に導いた功績を考えれば、その答えは何も間違ってないだろう。ただ、自分は思うのだ。石井正忠は勝負師ではあるが、知将ではないと。

 石井監督が就任した時、チームには明確なコンセプトが持ち込まれた。「前線からプレスを掛け、奪ったボールをショートカウンターに繋げるアグレッシブなサッカー」、この旗印のもと就任1年目からチームは急速に成熟度を高めていった。その結果があのナビスコ杯優勝である。ナビスコ杯優勝の時、石井監督は選手たちにこう言った。「このゲームをスタンダードにしよう」と。だが、それからチームの成熟度は最後まで上がらなかった。

 原因はいくつかあるが、一番の問題はプランBがなかったことである。サッカーは相手がいて成り立つスポーツだ。そのため、相手の出方に応じて自分たちも少なからず手を変え品を変える必要があるスポーツなのだ。ただ、石井監督には相手が対策してきたときの対応が最後までまずかった。夏場になって運動量が落ちてきた時はどうするのか、プレスを掛けるにしても相手に数的有利を作られてプレスがハマらなかった場合はどうするのか、そうした時にも石井監督は愚直に己の策を貫き通した。ただ、それで勝てるほどサッカーは甘い世界ではない。対策を打ち鹿島と大差のない実力を持ったチームに、石井アントラーズはなすすべなく敗れる試合が目立った。それも何度も。

 それでもここまで結果を残してきたのは石井監督自身が類まれなる勝負師であったから、そして何より率いるチームが鹿島アントラーズだったからであろう。勝負所でチームの最大値を発揮させる、その力が石井監督は抜群に優れていた。これは教えて身につくものではなく、彼の天賦の才と言えるだろう。また、それを抜群に発揮しやすいチームだったのも石井監督にとっては大きかった。常に優勝を狙うチームだけに、選手層は常にリーグでもトップクラス、さらに小笠原や曽ヶ端といった戦術理解度も高く、チームの拠り所となれるベテランも揃っていた。選手としても指導者としても鹿島で長らく過ごし、チームのことも熟知している。ひとえに、石井正忠という男は鹿島アントラーズの歴史が生んだ勝負師だったと言えるだろう。

アントラーズのこれから

 そんな石井監督を切る、という結論を今回クラブは下した。だが、今回招いた結果は果たして石井監督だけの責任なのだろうか。先程も書いたように、石井監督は長くを鹿島で過ごしてきており、指導者としても多くの監督の下でこれまで過ごしてきた後に、監督に就任した。まさに鹿島アントラーズが育てた指導者なのである。さらに、現在石井監督を支えるコーチ陣も全員鹿島で長くを過ごしたOBたち。言わば、鹿島というクラブが培ってきた俗にいう「ジーコスピリット」、「勝者のメンタリティ」の象徴ともいえるスタッフ陣が、今の鹿島を指揮しているのである。

 そんなスタッフ陣が今回結果を残せなかった、さらにチームとしての上積みを途中で止まってしまいそれ以降上手くいかなかった、この事実は今までの鹿島アントラーズというクラブがやってきたことが足りなかったということに繋がるように思えてくるのである。今まで多くのブラジル人監督や多くの選手たちによって数々の栄光を築いてきたクラブであるが、アジアでもJリーグでも実力差で圧倒することが出来なくなってきた昨今、これまで守ってきた歴史や伝統を大事に守っていくだけでなく、その歴史や伝統を新たに上塗りしていくような新たな刺激を加えなければ、この先も強豪として生き残っていくことは出来ないのではないか、そういう風に筆者には思えてくるのである。

 鹿島は極めて特殊なチームである。自ら築いてきた伝統を重んじ、外部から来る変化を嫌う。そうしたイメージがあるだろう。だが、鹿島は決して外部からの変化を自ら拒んでいるわけではない。むしろ、自らにとって利と判断すれば積極的に受け入れる土壌はある。ただ、その伝統が足枷になってしまっている部分は否めないだろう。

 鹿島はどの監督にも3割はチームの土台を守ってほしい、残りの7割はその監督独自の色をつけてほしいという明確な方針がある。この方針、受け入れられる監督にとっては楽であるし、鹿島というチームを知っている人であれば尚更である。自ら畑を耕して、土壌を作り上げる必要がないからだ。だが、チームを自分の色に染めたいタイプの監督にとってはその要求は受け入れがたい部分があるだろう。自ら耕したい部分があっても、そこはチームの要望で耕すことが出来ない。若葉マークをつけた運転手に助手席のサポートは必要かもしれないが、プライドの高いF1レーサーにも同じことをして受け入れてもらうのは無理があるという話である。これまでブラジル路線を歩んできており、その色が必然的に濃くなってきているチームに、いきなり外部から飛び込んでそこに浸透していくのはなかなか難しいだろう。外部から招けなければ、自分たちで育てていくしかない。その考えで鹿島はこれまでやってきた部分があるし、実際にそれで上手くいっていたのである。

 そうした中で、今回そうした鹿島の血を知る(日本人)指導者の中で一番といっていい成功を収めてきた石井監督に対してこのような決断を下したフロントの決断は非常に重いものがあるだろう。現状ではその石井監督の下で働いてきたスタッフ陣でなんとかするしかないだろうし、外部の鹿島の血を知る者で石井監督以上の実績を持つ者は誰一人としていないからだ。夏場や今季のオフシーズンに外部からの新しい血を入れる可能性もあるが、それには当然リスクも伴うし、何より前述の通り「鹿島の伝統」によって皮肉にも選択肢は狭まってしまっている。今回の決断によって、今以上の辛い経験をすることになるかもしれないことを我々は覚悟しなくてはならないのかもしれない。最も、大岩新監督の手腕次第ではここまで書いたことが杞憂になってくれるのだが…。

 長々と書いてしまったが、最後にこれだけは伝えて締めとしたい。

石井さん、夢を見せてくれてありがとう。大岩さん、よろしくお願いします。


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